家の引渡しが終わった。新しい暮らしも始まった。それなのに、近くを通ると、前の家のほうへ曲がりたくなる。売ってよかったはずなのに、と自分の気持ちを確かめたくなる人もいるでしょう。
売却の記録は、契約や手取りで区切られることが多いものです。でも、暮らした家との関係が、鍵を渡した日に終わるとは限りません。以前の家を気にかけることを、売却の成功・失敗だけで測らない。家を離れた人が公開した、異なる受け止めを読んでみます。
次の人に使われていることが、うれしかった人
ブログ「ちょっと、シエスタ」の書き手は、26年暮らした二世帯住宅を売り、URへ住み替えたあと、以前の家を見た経験を2022年10月19日に記しています。手放した家で次の人の生活が続いている様子を見て、家が使われていることを肯定的に受け止めています。[1]
これは一人の経験です。新しい住人の細かな暮らしぶりを、ここで紹介する必要はないでしょう。読みたいのは、以前の家が自分のものでなくなったあとにも、家が使われ続けることを喜ぶ関係がある、という点です。
売った人にとっても、家にとっても、その後がある。そんなふうに読むと、愛着を持ったまま手放すことは、矛盾と決めなくてもよさそうです。
建物が残っていることが、区切りを支えた人
全国宅地建物取引業協会連合会の広報誌「REAL PARTNER」2023年3月号で、松本明子さんは実家じまいを振り返っています。売却後も実家の建物が取り壊されずに残ったことを幸運と受け止め、仕事で四国へ行く際に、近隣への挨拶も兼ねて見に行くことがあると話しています。[2・8〜9頁]
この話を「売るなら建物を必ず残してもらうべき」と読むのは違うでしょう。維持できる状態、買主の使い方、土地の条件などは、家ごとに変わります。本人がよかったと感じた点と、すべての売主が約束してもらえる条件は同じではありません。
ただ、自分が何を惜しんでいるのかを考える手がかりにはなります。建物そのものなのか、親が暮らした部屋なのか、ご近所と挨拶できる道なのか。売値の相談で使う言葉では拾いにくい、大切なものの違いです。
家がなくなったあと、町とのつながりが残った人
一方、2022年9月のnoteには、長年暮らして離れた家が取り壊されたと知り、友人と以前の町を訪れた人の記録があります。家があった場所の変化への寂しさとともに、友人と歩く町で思い出が重なる様子が描かれています。この記録から売買の有無は確認できないため、「家を売った人の事例」としては扱いません。住み慣れた場所を離れたあとの、もう一つの経験です。[3]
建物が残る話と、なくなる話を比べると、同じ「昔の家を見に行く」でも、確かめているものが違うと気づきます。次の暮らしが続く家に安心することもあれば、物理的な場所が変わったことに立ち止まることもある。どちらも、短い「後悔あり・なし」の設問には収まりにくいでしょう。
見に行く人は、少数の変わった人なのか
アットホームの2015年の調査では、売却経験者295人の33.9%が、以前の家を見に行ったことがあると回答しています。1都3県で過去5年以内に売却した人へのネット調査で、現在の全国傾向ではありません。また、なぜ行ったのか、その後気持ちが変わったのかまで、この割合では分かりません。[4]
それでも、売った家を思い出す行為を、売却の失敗だけに結び付けなくてよいことは、今回の複数の記録から考えられます。新生活に満足しているかと、前の家に愛着があるかは、別々に尋ねられることなのだと思います。
今の住人の暮らしと、自分の思い出の間に距離を置く
以前の家は、引渡し後には別の人の生活の場所です。懐かしさがあっても、敷地へ入ったり、窓をのぞいたり、無断で撮影・訪問したりすることを勧める話ではありません。近くへ行くとしても、公道での通常の通行の範囲を守り、今の居住者のプライバシーを優先します。
家を離れる前なら、自分たちの写真や、間取りの記憶、家族が覚えている出来事を残すこともできます。写真を残せば必ず寂しさが消える、という意味ではありません。あとで家そのものに会いに行かなくても、話せるものを手元に置く一つの方法です。
家族で売却を振り返るときも、「今の家は快適?」と「前の家をどう思う?」を別々に聞いてみる。その両方へ違う答えが返ってきても、どちらかが間違いとは限りません。家は売買できても、そこで過ごした時間まで次の持ち主へ渡すわけではないのです。


